ひとことふたこと 筆者からのとりとめもないあれこれうんぬん。 ご感想はこちらまで。一言でも結構です。 |
はいみなさま、気持ちを楽にしてお読みください。2005年10月12日の日記に、感想システムを通して子猫の里親探しの告知が掲載されました。これについて管理人の意見を書きます。
健康優良児的な運営をしようと思えば、富校日記は「富校の日記」として、富校生活の話題「だけ」を繰り広げるのがふさわしいかもしれません。でも、管理人であるわたしの方針は、できるだけそのときの日記記者の自由な場にしてあげようというものです。だからわたしは、自分の部活の新入部員の勧誘に使ってもいいし、自分の私生活についても書いていいよ、といつも日記記者に言っています。それは各自の個性が出た方が「日記」として楽しい読み物になるし、半年という任期ごとにメリハリがあったほうが、何年も読んでくれている読者が飽きないのではないかと思うからです。あとは日記記者の良心にお任せです。
さて話は変わって、とみこう掲示板。この運営方針は、「事なかれ主義」です。ご存知の方も多いでしょうが、多くの読者を抱えるサイトで一番たいへんなことのひとつが、「荒れる」事態への対応です。掲示板への荒らし的な書き込みは、富校の杜内の掲示板でもたまに起こっています。そして、それが「起こりそうな」気配を感じた時点でそそくさと書き込みを消してしまうのが「事なかれ主義」なのです。ときには善意の書き込みすら消すこともありますが、仮にそれを放置して荒らしがエスカレートすると、あとから事態の大掃除をするのはより一層たいへんになってしまうので、結局は火事になるかどうかを見届けるよりも、煙が出た時点ですぐに消火してしまうのが一番効率的なのです。
それでは話を富校日記に戻していよいよ本題。富校日記の読者の声システムは、八代目の藤田哲朗くん以来、とてもうまく機能しています。また、日記中でそれにレスを付けて読者とより一層のコミュニケーションを取ることができるようになったのは、ブログ全盛のいまにあって必然でもあったし、五十嵐くんの功績でもあるでしょう(とはいえ将来の日記記者がこの「レス付き」スタイルを取り入れるかは、やはりその記者に任せるつもりです)。しかし、たとえばこの富校日記の場で「いずみ高の友達のバンドが今度コンサートやるから宣伝して!表紙画像もこれに替えてほしい!問い合わせ先は…」なんて投稿があったらどうでしょう? ちょっと考えてしまいます。また、これは内容の真剣さとは関係ありません。たとえ恵まれない子供たちへのチャリティー募金のお知らせであっても、それがパソコンの操作についての教えて掲示板に投稿されるのは決してふさわしくないでしょう?
ところで、念のため聞きますが、子猫の里親探しは誰の家で起きていることでしょうか? 里親と保健所に絡む話は、携帯電話などでチェーンメールとしてよく出回っているのでご注意ください。もし富校生の家で起きている話でしたら、とみこう掲示板にご投稿ください。とみこう掲示板は、富山高校や富校生が関係する話題であれば、場合と内容によっては富山県や高校生が関係する話題であれば、とてもオープンな場所です。一般の宣伝書き込みは即刻削除しますが、富校生のバンドコンサートや、富山高校の生徒会が実施する募金であれば大歓迎なのです。また、もし富校生と関係ないのでしたら、里親探しにふさわしい場所を見つけて、そこに投稿してください。それは「富山県の子猫里親探し掲示板」みたいな場所かもしれませんし、そこまでピッタリじゃなくても富山の子猫愛好家が集まるサイトかもしれません。ひょっとして町内の回覧板や公民館の掲示がいいのかもしれません。可能性があるできるだけ多くのひとに伝えたいのはよくわかりますが、すべてのひとに北日本新聞の1面やKNBニュースの最初の1分が与えられるのではないからこそ、みんな、バンドもサークルもNPOも自治体も商店も、各自工夫をこらして宣伝しているのですよ。
もちろんこれは、中部高校をはじめとして他校の生徒を富校の杜から閉め出す意図ではまったくありません。中部の体育大会の話題も結構ですし、開成学園の文化祭の話題も結構です。管理人としてわたしが一番気にしていることは、読者の方々がそれをふさわしいと思うか、楽しめるかどうかなのです。この判断はたいへん微妙ですが、今回の里親の件でこんな文章を書いたのは、将来にわたってこの指針を残すいい機会に思えたからです。これまでも、とみこう掲示板がちょっとおかしな方向に行きそうになったときに、読者の方の書き込みに助けられたことが何度もありました。富校日記の読者の声もまた、日記記者や読者に対していい役割を果たしてくれることを期待しています。
ちなみに、2005年現在のわたしの感触で読者の内訳は、よく訪れてくれる読者がザッと500人くらい、たまに訪れてくれる読者が2000から3000人くらいといったところでしょうか。そして前者のうち高校生が200人、大学生が100人、社会人が150人、あと中学生が3月にかけて増え続けて100人とか。後者だと、社会人が少し多くなるかな。あまり数には自信はありませんけど、割合はそこそこ合っているような気がします。
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大学受験の見直しだ、エリート指向教育はまちがっていた、などなど、これまでの進路指導体制に世論から波紋が投げかけられて久しくなります。 そんななかで、東大をはじめとする超難関大学への進学実績を誇らしげに掲げ、まるでそれだけが高校を格付ける基準とするような風潮は厳しく非難されてきました。
富校の杜でも、「富校生の進路」はそんなあおりを受けて、筆者が在学中の頃にいちど「公開があまりよろしくない」旨のご意見を教師のひとりからいただきました。 しかし。当時は「そうか、まずいか」と思ったこともありましたが、いまでは考えが変わり、自信を持って公開し続けています。
そもそも大学を学歴判断の基準にしかとらえず、偏差値の順にしか並べられないというのがまちがいなのです。 「○○高校の進学実績」をそういう目でしか見ることができませんか?もっといろんな見方ができるはずでしょう! 理系に進みたい生徒は理系の大学に強い高校(いい先生がいらっしゃるのか、そういう校風なのかはわかりませんが)を選ぶ。 家庭の事情で私立進学がむずかしければ国公立に強い高校(カリキュラムの違いでしょうか、校風でしょうか)を選ぶ。 地理的な選択だってあります。地元を離れたくない生徒。南国が好きな生徒。歴史ある街に住みたい生徒。 はたまた、女子大がいいとか、浪人はしたくないとか、○○の研究がしたいとか、○○教授に会いたいとか。
もっとも、中学3年生の段階でこんなことまで考えて高校を選べるひとは少ないかもしれません。 しかし、このように生徒がさまざまな視点から評価することが、進学実績を公表する目的であり理想であると考えています。
中学生のみなさん、そしてご両親や中学校教員の方々には、そんな意味で、じっくりと「富校生の進路」をご覧いただきたいですね。
ところで、どこかの週刊誌は合格者の名前まで掲載していますが、あれはやりすぎですよねぇ。 学歴偏重がどうのこうのよりも、プライバシー侵害の問題です。いまの時代の公立校がすることではありません。
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ついに一周年ですかあ。思えば充実した1年でした。 制作に心身と時間のすべてをそそぎ込んでいた秋の日々。各方面に宣伝しまくり、届くメールに顔のほころんだ冬の日々。 アクセスものびて特集も充実していった春の日々。やや更新が滞りがちだった夏の日々・・・(^^;。 そして体育大会や文活記事と掲示板によって杜にさらなる活気をもたらしたこの秋の日々。
カウンタの数字にもまして、何といっても一番うれしいのはやはり読者からのメールです。 富校の杜にいただいたメールを数えてみたら、364通(おしい!)ありました。一日一通ですね。
さてと。いよいよわたしの受験も近づいてきまして、今後どうなってしまうのかご心配の方もおられることでしょう。 残念でした。わたしにもさっぱり見当がつきません。 考えるだけでおもしろくってしょうがない特集記事とかもあるのですが、一体改修をのぞいては卒業まで更新・新設はあまりないでしょう。 センター試験だけはなんとしても特集記事にしてやりたいとたくらんでいますが。
ともあれ、今後の富校の杜の発展を願って、共にがんばっていきましょう。
2年の夏休み前、生徒会にいたときのことです。ある日、長崎の諫早高校2年9組から「諫早湾干拓問題についての意見を募っています」という内容のお手紙が来たんです。 なんでも富校と同じようにクラスごとに文化活動発表会の研究テーマがあるようで、全国の有名高校にはがきを出したとか。 これをきっかけに、他県の高校に興味が湧くようになりました。
夏休みの終わりに、ふと進研模試の上位者リストに載った高校をインターネットの検索にかけることを思いつきました。 全国さまざまな高校のホームページを見ては、楽しそうだなあ、なんて思ったり、富校と比べたりしてました。
そんなとき、今はなき盛岡第一高校のホームページに出会ったのです。 「盛一の一年」「盛一用語事典」という二つのコンテンツしかなかったのですが、これがおもしろい! がつんと啓発されるものがありました。「富校生の一年」「富校大百科事典」はこれをお手本としています。
その後、水戸第一や岡山芳泉などのページからもヒントを得て、始業式の頃には富校のページを作る決意がみなぎっていました。
HTMLの本を買ったのもこのころだと思います。 それまで全然コンピュータの言葉なんて知らなかったわたしですが、デザインを考えたりするのがおもしろくてうれしくて、すぐにマスターしちゃいました。 レイアウトにはとことんこだわる方なので、今でもすべてウィンドウズ付属のメモ帳だけで書いています。
試行錯誤を繰り返しながら、どんどん各ページを作っていきました。 校歌と賛歌は以前に作ったものがありましたし、表紙の写真と卒業生の進路の表組は、教育委員会ページの物をベースにしました。 デジカメは持たないので写真はほとんどAPSのデジタル化サービス。
そして、なんといっても一番気合が入っているのは「一年」と「大百科事典」。 家でも登下校でも、休み時間でも授業中でも、ふとアイディアが浮かんだら愛用のメモ帳(ウィンドウズじゃなくて、ただのメモ帳)に書き留めていました。 「富中校歌」は音楽の先生にわざわざ楽譜をいただきました。 また、これまでためていた「しおり」や「学年通信」、「学校案内」や生徒会誌「北辰」、果ては図書館の「富中富高100年史」まで、とにかく富山高校のありとあらゆることを「研究」しました。 この時期、一番わたしは充実した毎日を送っていたと思います。執筆にはほぼ2ヶ月かかりました。
水戸第一の「Inside Ichiko」の影響もあって、当初、「富山高校ホームページ」というありきたりな物を考えていたタイトルを、「富校の杜」と改め、いよいよ11月1日、ホームページ公開。 もっとも、このときまだ「一年」「大百科」が未完だったため、広報活動は一切おこなっていません。 ようやく「杜」の全貌が完成したのは11月9日だったでしょうか。
そしたらメールが来る来る、あのときの喜びといったら、何とも言えません。すべては、あの、諫早からの一通の手紙が始まりだったのかもしれません。
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下の記事にはたくさんの反響をいただき、ありがとうございました。 なにしろゆっくりと先生方と話す機会(議論じゃなくて、楽しいおしゃべり)がなかったものですから、はじめはわたしも「職員室全部を敵にまわしたのかあ?」なんておびえちゃいましたが、やっぱり考えすぎでした。 「おもしろかった」「文章がうまい」などとほめてくださる先生もいるじゃないですか。きゃーうれしい。 「立場上何も言えないなあ」なんて先生もいました。十分すぎるほどほめ言葉ですよ、B先生(イニシャルではなく仮名ね。口調も変えてあります)。
や〜、やっぱみなさんいい人たちです。もちろん、批判的な方もいるのでしょうけど、人類皆兄弟です。
立場って恐いですね。(うわ、風刺! 毒舌。書かなきゃ丸く収まるのに)「先生と生徒」でなくて、「高校時代を生きた先輩とそのまっただ中の後輩」として向き合えることを望みます。
12月11日、わたしは「富校の杜」を現役生にも広く知ってもらうべく、校舎内へのポスター掲示を先生にお願いしました。 いや、それまで先生には誰も言ってなかったので、先生方に知ってもらうことの方が目的の第一だったかもしれません。 内容がご覧の通りなものですから、不許可でも不思議はないと思っていました。(後述しますが、実際には多少予想に反した理由で不許可となりました) 私としては、立場上は「こんなもの作るんだったら勉強しろ」と言っても、心の底では「おもしろかった」と思ってくれることを期待していました。 いえ、現にそんな先生はいらっしゃると信じています。これは「富校の杜」のおもしろさを信ずると言うよりも、先生の人間味を信ずるという方が適当です。 翌12日、わたしは放課後に呼び出しを受け、A先生(イニシャルではなく仮名)からいろいろとこの「富校の杜事件」についてうかがったのです。
A先生はなんと、この富校の杜の全文をプリントアウトし、さらには校長先生をはじめとしたそうそうたる方々に、そのコピーを配ったというのです。 A4サイズにしてその数一部あたり80枚。世間は京都会議にわいていました。とんだ問題児のせいで、たいそうなご苦労をかけさせてしまいました。 しかし、それだけ多くの方に読んでいただけた、ということはうれしかったです。
それで、12日にわたしがうかがったお話によれば、富校の杜は大変評判が悪かったそうです。(苦笑いしながら) たとえば、一部無断で写真を掲載していたり、無許可で実名が載っていたりした部分がそうです。 これについては、まことにごもっともであり、すでに修正してあります。ごめんなさい。 そのほかは、いろいろと検閲(表現がきついといわれました。ちょっと毒舌っぽくしただけです。「校正」と思って読み進めてください)の手が入りましたが、7割がた「言論・表現の自由」で修正はしませんでした。 A先生も「直すも直さないもおまえの権利だけど・・・」と言ってくれてましたし。
さてさてしかし、ほんとに好意的に読んでくれた先生はいないんですかね? 「迷惑です」とまで言われちゃいましたよ。これも、苦笑いしながらの和やかな雰囲気で。 まあ、話したのはA先生だけですけど。特に、「緊急企画!体育大会の団編成」が迷惑だそうです。 確かに、時期的に企画の立ち上げが遅かったのはあるでしょうけど、ああいう、意見の聞ける場って大切だと思うんですけどねえ。 「体育大会は授業の一環であって、生徒が口出しをするものではない」だそうで。昔から富校は保守的でしたけど・・・。
と、ここへきてついに富校にマイナスなことを意図的に書いてしまいました。 検閲した先生方に言わせれば、どこをとってもマイナスだらけでしょうが、わたしは全然、むしろ、あえてさけてきました。 だって、中学生にも見てもらいたいと思ってますからね。 大百科に「保守的」を加えようとも思いましたけど、マイナスは書きたくなかったのと、先生方の逆鱗に触れたくなかったのとで、やめました。 逆鱗と書きましたが、これすらも心の底では「そうだよね」などと笑ってくれると信じた上のことです。
何だか険悪な雰囲気の漂う「杜事件」ですが、ほんとは仲良くやりたいわけですよ。 世代が違うせいで意見の対立がありますが、わたしの世代なりのやり方で「母校愛」を表現したにすぎません。 ね? だから心を割って話しましょうよ。
なお、ポスター不許可の理由は、これだけではないと思いますが、わたしの聞いたものは 「おまえのホームページを見て、じゃあおれも、と何百時間もそれに費やす生徒が出てくると困る」 というものでした。何だか寂しいですね。「みんなの声」にもありますが、高校時代に何か没頭できるものがあるって、すばらしいと思いますけどねえ。 先生方にも、一つや二つ、あったはずですけど・・・。これももちろん、立場上の言葉でしょうけどね。
ああー、ほんとはこんな記事なんて書きたくなかったんだあ。明るく楽しい富山高校を書きたかったのにいい。 もうちょっと先生方も理解を示してくれると思ってたんだよお。いや、だからといって富校の先生はいやな先生が多いのかなんて思わないでくれ、中学生ちゃんたち。 「富校の杜事件」から一歩外へ出れば、みなさんとってもいい先生たちなんだよう。いやいや、だからといって、「杜事件」に関してはいやな先生なのかと言ったら、そうでもないんだあ。 お互い、富山高校によかれと思ってやってるという点ではいっしょのはずなんだ。ああ、わかってくれ、中学生ちゃん。
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ホームページを開設してからというもの、たくさんの反響をいただき、とてもうれしく思っています。 いろいろと忙しくて、メールのお返事が遅れてしまうこともありますが、どれもにこにこしながら読んでいます。 また、このたび「特集」を新設し、さらなる発展を続けたいと思っています。(ネタは色々用意してあります)
さて、そんな富校の杜も、インターネットでの広報を始めて約1ヶ月が過ぎちゃいました。 アクセスも順調に伸びてくれて、特に「富校日記」と「自己紹介」の人気が高かったのがうれしいですね。 (富校生の一年がいまいちなのが悲しいけど・・・。かなり気合入ってます。ぜひご覧あれ!) いよいよ貫禄も付きはじめた頃ですし、校内に向けても広報活動を始めようと思っています。「勉強しろ」と言われるのは覚悟の上ですが・・・。
でも、おそらくこのあたりがピークな気もしています。何てったってもうすぐ受験生になっちゃいますからね。(^^;
最近、1年生にいいカメラマンを見つけました。富校写真館の更新に期待が高まります。 デジカメじゃないので、ちょっとワンテンポ遅れますけど。あと、富校日記の継続的執筆者がほしいところです。 こんな調子で、少しずつ世代交代がおこなわれていくのかも。 (開設から1ヶ月でこんなこと言ってていいのかな?)
なんか不安なことを書いてますけど、富校の杜そのものの管理はしっかり続けて行くつもりなので、応援よろしくお願いします。
普通、合格発表というものは東大でもどこでも縦にずらっと並んでいるものです。そう、皆が思っているのです。 そんななか、富山県の高校はどういうわけか
101 102 104 105 107 108 110 111 112 113 114 116 117 118 119というように横に並べていて、左上から下へと見ていった中学生は3人に2人がまず、自分の番号がないと誤解してどきっとします。 中には誤解したまま帰ってしまう人もいます。 富山高校は97年度入学生の時から改善しましたが、ほかの高校はどうなのでしょうか。 以前わたしはこのことを県庁の教育委員会に申し立てたことがありますが、 「そういうことがあるのは知っているが、最終的には各校の判断に任せている」 と言われ、結局、担当の先生に直接言う事ができた富山高校だけ改善してもらいました。 このことについて、何かご意見をいただけたら幸いです。
どうやら、県の教育委員会の指示で97年度の入試からは県下すべての高校が「右矢印」を書くことで誤解をなくそうとしたようです。
まずは改善達成といったところでしょうか。
まあ、あとは上から順に少しずつ、ドキドキしながら下がっていく、という、合格発表の風物詩がないさびしさが残りますが・・・。
2002/5/12追記 : 現在では少なくとも富山高校は縦書きで、しかも縦の枠線が引いてあります。
富山高校を親しみを込めて「とみこう」と呼ぶとき、それは「富校」と「富高」のどちらでしょうか。 きっと、口に出して言うときにはあまり意識していないのではないでしょうか。
このホームページでは「富校」に統一していますが、富山高校の現状は、「とみこう」の表記に揺れています。 たいていの発行物には「富高」と書かれていますが、一部の発行物と生徒の書いた文中には「富校」の表記が目立ちます。 権威派の「富高」と庶民派の「富校」と言ったところでしょうか。
富山中学校、富山高等学校と歴史を重ねてきた「とみこう」なわけですから、特に中学と区別するのでなければ「富校」の方が適しているのではないでしょうか?