ホームページ制作譚
 1998年。産能大学主催の「高校生輝きコンクール」に、富校の杜の一周年を迎える気持ちを込めて、賞金欲しさについつい出品してしまった作文です。 無事一次予選を通過させていただきましたが、その後あえなく落選いたしましたので、ここにその全容を公開します。 「ひとことふたこと」の「『富校の杜』制作ウラ話」と一部重複もありますが、だからこそ書き上げることができたとも言えます。
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   「私が一番輝く瞬間(とき)!―ホームページ制作譚」
                富山県立富山高等学校  三年 横田幸之介

 夏の出来事。すべては、あの一通の手紙からはじまった。差出人は、長崎県立諫早高等学校2年9組。 「諫早湾干拓問題についての意見を募っています」という内容のもので、富山高校の生徒会宛に送られてきた。 2年生の当時、生徒会長だったわたしは執行部の仲間たちと話し合い、その内容をまとめて諫早高校に返事を出したのだった。
 彼らは文化祭での研究課題として干拓問題を取りあげたということだが、ちょうどその時期は富山高校でも同じように文化活動発表会へ向けてクラス研究に取り組んでいた。 2年9組はどんな発表をするのだろう。諫早高校の文化祭はどんなだろう。 売店やお化け屋敷ではなく、研究発表をおこなう学校が富山高校のほかにもあるんだ、という気持ちは、突如としてわたしの中にほかの高校への興味関心を芽生えさせてくれた。
 この、わたしの心に芽生えた好奇心の若葉を育ててくれたのは、インターネットである。 夏休みのあいだ、わたしは全国いろいろな高校のホームページをつぎつぎと読みあさった。 もちろん形式的な堅苦しいページや内容の薄いページも多かったが、愛情込めて丁寧に作られたページは、赤の他人であるわたしにも、その明るい高校生活が生き生きと伝わってきた。 おもしろい高校ホームページを見つけるのが楽しみでならなかった。 同時に、そうして見つけた高校と富山高校をくらべるうちに、富山高校を自分の母校として愛着を持って見つめられるようになっていった。
 秋の情熱。2学期が幕を開ける頃のわたしにはすでに、富山高校のホームページを作る決意がみなぎっていた。 ホームページのメインに据えたのが「富校生の一年」と「富校大百科事典」。 それぞれ文化活動発表会や体育大会といったあらゆる行事や活動の紹介と、校訓からロッカーにいたるまでのあらゆる用語の解説である。 個人の作る非公式ページらしく、やわらかい表現でたっぷりと味付けした。 このころは家でも登下校でも、休み時間でも授業中でも、ふとアイディアが浮かんだらすかさずそれを愛用のメモ帳に書き留めていた。 ホームページ上で校歌も聴けるように、音楽の先生にわざわざ楽譜もいただいた。 さらにはこれまでためていた各しおりや学年通信、学校案内や生徒会誌、果ては図書館の「富中富高百年史」まで引っぱり出し、とにかく富山高校のありとあらゆることを”研究”した。 この時期、わたしは一番充実した毎日を送っていただろう。 全貌完成は11月9日。執筆には実に2ヶ月を要した。タイトルは「富校の杜」。
 冬のよろこび。ホームページ作りにおいて最もうれしいと思うのは、読者からの反響のメールが寄せられたときだ。 富山高校の卒業生、現役生、教育委員会の方、ほかの高校の卒業生……。 インターネットがなければ、決して知り合うことのなかったはずの相手とのコミュニケーションがつぎつぎに生まれた。 このことを強く実感したのは北は北海道から南は九州まで、下は中学生から上は旧制富山中学校を卒業された方まで、実に幅広い読者からメールをいただいたからだ。
 ホームページを公開したあとも、富山高校生活の日記や各行事のレポート記事などを書いて、いまでも更新を続けている。 わたしはこうした記事への取材をしていくなかで、文化活動発表会や体育大会といった行事をこれまで以上に満喫できるようになった。 そしてなにより、富山高校に対する母校愛を熱く大きく育むことができたことは、わたしがこの「富校の杜」制作を通して得た最高の恩恵だと言える。
 こうして、あの一通の手紙がくれた母校愛は、やがてわたしの高校時代の宝になったのだった。

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