寄せられたご意見
 基本的に、手を加えずに本文の全文を引用しています。上から新着を並べています。
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20.長崎北高校現役生の方から
自分が通う高校では、今年は5月11日〜31日が(去年は4月30日〜)「制服移行期間」となっています。この期間は冬服、合服、夏服すべて許されます。 どのような基準で学校側が設定するのかは自分がまだ入学したての1年生という事もありわかりませんが、本当にいいタイミングです。 年によっては1ヶ月近くも移行期間を取ってくれるのですからこれほど柔軟な対応はありません。 うちは基本的に冬服の下に着るものは何でもよく、夏服の時見えるベルトにも何ら規制が敷かれていないし、みんなそれはそれで色とりどりのベルトをしています。 しかしうちが荒れていると決め付けないで下さい。あえて勉強面から言えば公立校としては毎年トップクラスの進学実績を誇りつづけています。

制服の移行期だけに視点を置けば、富校の考え方には全く賛成できません。部外者の発言とみなしても結構ですが、学校は生徒が集まって構成されています。 生徒会の頑張りしだいでそのことはくつがえすことができるのではないでしょうか?

「伝統」という言葉は独り歩きするようですね。そいつのせいで斬新な提案も今風の考え方も勝手に否定されてしまうような気がします。 それ(移行期とは関係ない)が間違っていても伝統という言葉の元に正当化されてしまうのでしょうね。 最後になりますが、伝統は既存のものとはかぎらず、今からでも作りだせるものだと思います。頑張って下さい。

19.都内私立校出身の方から
教育関係者の方へ>>

>一般論として、校則の厳しい地方の高校のほうが、
>校則がごみ屑のように捨てられ「自主性」の美名のもとでの放任に流れ、
>すっかり荒れはててしまった東京都立・大阪府立高校より
>ずっとまともで健全なのは事実です。

「一般論として」で始まって、「・・・事実です」と終わっては論理が破綻しているように思えます。 なにをもって「事実」と判断なさったのですか?荒れ果てた都立校があるのは事実ですが、「自主性尊重」との相関はとれているのですか????

私の出身校は東京都内の名門私立女子校です。(自分で言うなと思われるかもしれませんが超有名校なのでアリでしょう。) 学生闘争が華やかだった頃に教職員と生徒が議論して制服は撤廃されたそうです。校則もわずかしかありません。 それから何十年(?)経って入学し、卒業したた私たちも「自分のことは自分で律する」この校風に誇りをもっています。

無論、未成年である高校生に「社会的規範」を教えるのも教師の重要な役割であることは否定いたしません。 しかし「自由」と「自己責任」を教えてくれた自分の高校に私は強い誇りを覚えます。

>髪型、かばん、服装などが「自由」になれば、結局、生徒は
>大量消費社会の資本主義の餌食になってゆきます(中略)
>大量に消費するため、¥¥が必要となり、今度はアルバイト。
>高校生は、こんなことではなく、もっと、勉強・精神修養など、
>やらねばならないことが沢山あるのです。

富高生にはその程度の判断はつかないとおっしゃるのですか? 服装を規制して資本主義から守ってあげるよりも勉強・精神修養の大切さを教え、自由な服装の中で、自ら判断させていく方が生徒にとってなんぼか役に立つと私は思います。

私の出身校はかつての制服の着用も認められていることから式典や文化祭の時には着用者も多いです。 式典の種類によっては8割が着用することもあります。でもこれは自分の判断です。(ちなみに「制服」という呼称は認められていません。)

真っ向から否定する物言いになってしまいましたが自分の経験から言えば制服や校則がある方が楽です。

>・・・校歌さえ3年間覚えないまま生徒が卒業して行く学校が、
>東京都立や大阪府立高校には多くなっていることを、忘れないほしいものです。
>それゆえ東京や大阪では、まともな親や子供は、もはや都立・府立高校へは
>進学し(させ)ません。私立や、国立附属高校をねらいます。

失礼な。(^-^;  都立・府立高校は山ほどあるのです。「上の方」と「下の方」はものすごい差です。 「下の方」は強権力をもって規制してあげる場合も必要かもしれませんが「上の方」には当然のように判断力が期待されます。 その程度の判断がつかない生徒は「上の方」にはふさわしくないでしょう。

18.富山県出身の方から
かつて、富山で女子高生をやっていたものとしては、うーん、なにか言いたくなってしまいますね。 私は富山県の教育ってあんまり好きじゃありませんでした。学力に重きを置きすぎます。 東京にでてきて、東京の女子高生たちがあまりに伸びやかでうらやましく、勉強以外なんのとりえもない自分にコンプッレクッスを感じてしまいましたね。 英語の文法はできなくても、英会話には臆せず、はなせる子がいたり。
 これって、なんなのでしょう? コートなしマフラーはいけないと言う高校の教師がいるなんてこれですよ! レベル低すぎませんか? 生徒ではありませんよ。教師です。なぜだめなんですか? もちろん。富山は寒い。コートなしで歩くのは寒いでしょうね。でも、若い日は、いつだって人はやせ我慢。ね、それがおしゃれでしょ! わたしの中学校でも昔はそんな校則がありました。でも、生徒会が取り組んで廃止しました。
 よかったら、のぞいてみてくださいね。 野の花舎/教育/学校現場/にいろいろあります。 その中の、校則を考えるに入っているはず。
「高校生らしさとは?」へのご投稿でしたが、主旨が同じであること、最近の更新頻度などから勝手ながら「制服移行期なんて」に掲載させていただきました。

17.教育関係者の方から(14から2通目)
 16,15番さんにお答えします。

 まず、私の発言が、このHP管理人

>に対する中傷、暴言に至っている

かどうかについて。

 私には、管理人さんを中傷する意図はありません。しかし、本HP管理人さんはご自身ではっきり、「制服移行期」を無視している、とHP上で公言しています。 移行期を無視、つまり学校で決められた校則を意図的に破っている、ということです。ですからこれは、事実に基づいて、その行動の誤りを指摘しているにすぎません。

>”制服をだらしなく着ている”と想像

ということに関して、確かに私は管理人さんの通学姿を直接見たわけではないので、「想像」といわれればその通りです。とはいえ、16番さんは

>管理人さんは、きちんとしていらっしゃいます

といいますが、この「きちんと」が具体的に何を意味するかが問題です。 もし、管理人さんが、さっぱりした髪型(染髪など論外)で、校則に定められた標準型学生服をいつも清潔に保ち、学生ズボンにきちんと折り目、 下には白いカッターシャツ、詰襟には規定の校章・学年章と白いカラーをつけ、第1ボタン・襟ホックまで常にしっかり毎日教室でとめて授業を受けている、 ということが明らかになったならば、これは筆が走りすぎたことになりますから、私が陳謝してもよいでしょう。
 いかがでしょうか?

 さて、「中傷」うんぬんといった低次元の話はほどほどにして、16番さんによる議論の中身に入りましょう。

>校則改正というのも、時代の流れ上、仕方のないことではないでしょうか。

 16番さんは多分気づいていないと思いますが、これは、はっきりいって危険な発想ですよ。「時代の流れ」とは、いったい何ですか?
 1940年代の前半、日本がアジアの他の国を侵略するのは「時代の流れ」でした。多くの国民が「時代の流れ上、仕方ない」といって、「大東亜戦争」に協力しました。 それが果たして正しかったかどうか。高校の歴史の先生に聞いてみてください。 「時代の流れ」というあいまいな言葉で自己の意見を正当化しようとする行為は、自己の思考停止を意味しています。
 それに、「流れ」というならば、制服を決め、生徒にその着用を義務付ける = 通学中は服装に関して、生徒の「自主性」を認めないのは、グローバルな流れです。 香港、台湾、北朝鮮、マレイシア、フィリピン、タイ、シンガポール、インド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ベトナム…… 生徒は、すべて制服着用です。 アメリカ合衆国、中華人民共和国、大韓民国でも、制服が採用されつつあります。 特にアメリカでは、制服採用によって、ドラッグやセックス、暴力で荒れた校内秩序が回復した、とクリントン大統領も認めるほどです。しかも、制服着用規則は厳しい。 たとえば、オーストラリアでは、ブレザーにネクタイの制服が主流ですが、カッターシャツの襟ボタンをはずしたままでいたり、ネクタイを緩めたりすることは、どんなに暑くても許されません。 本HP管理人なら「健康や自主性を犠牲に……」と言い出しかねないでしょうが、これらの国々では、それ以上に大事な「教育」というもの本来のあるべき姿が認識されているのです。 君が「時代の流れ」とか思い込んでいるのは、実は狭い日本の井の中の蛙にとってだけの「流れ」ですね。

 「校則改正」が必要、と主張したいなら、その積極的な理由付けを、「流れ」とかではなくて、自分の頭で主体的に行うべきです。
 では、16番さんの積極的・主体的な理由付けとはどのようなものでしょうか。検討してみましょう。

>守られない校則は、何のためにあるのですか。
>破るためにあるのなら、それこそ、意味がないのではないでしょうか。

≪皆が守らない規則は、意味がない。だから、規則のほうをやめてしまえばよい。 日本の高級官僚には、業者から賄賂をもらったり接待漬けになったりする行為が横行していて、誰も法律を守っていない。 こんな法律は無意味だから「賄賂は罪だ」という法律そのものを廃止してしまおう≫ −−私は、日本の国が、こんな発想ではなくて、やはり賄賂官僚はそれなりに処罰される国だから、まだまともに経済や社会が発展すると思って安心してきました。 君のような発想なら、日本は汚職腐敗天国になり、モブツとかいう人物がいた、どこぞのアフリカの途上国のようになって、つぶれてしまうでしょう。

>はっきり言って、中学では高校の校則までは教えてくれません。

 教えてくれず、知らない規則なら守らなくてよい、ということですか? では、君は分厚い六法全書を全部読んで理解しましたか?  多分していないでしょうね(私も、していません)。 それでも、君も私も日本に住んでいる以上、そこに書いてある法律を全部守らなくてはならないし、守らなければ処罰されるかもしれないのですよ。
 それに、高校の校則は六法全書のようには分厚くなく、生徒手帳にせいぜい数ページですね。 どうしても知りたければ、自主的にそれを求めれば進学を志望する中学生にも情報公開されたはずだと思います。 君がそれをしなかったのは、君の自己責任です。誰にそれを転嫁すべきでもありません。
 この君の発言のなかに、真の自主性・主体性のない人任せの高校生、換言すれば、自主性・権利に伴う義務・責任をまだ十分に認識できていない人間が≪校則反対≫とか叫んでいる、という情景が、端無くも、しかし雄弁に、証明されています。
 15番さんが問題にする、「少年法」の問題を私が持ち出さざるを得なかったのも、このためです。

>制服の移行期と設定されると、年によって暑い年、寒い年があるし、
>季節の変わり目ぐらい、生徒自身で体調も考えて決めないで
>このあと生きていけるのかというものからです。
>暑い寒いは人それぞれ感じ方が違うし、そろそろ夏服を着ようと
>自分で決めることが大切なのではないでしょうか。

 君は、服装について「体調」の問題しか頭にありませんね。本HPの管理人さんも、私に以前、移行規定は「生徒の健康や自主性を犠牲にするほどのものでしょうか。」と、個人的にメイルをくださいました。 しかし、「健康」と「自主性」とは、大いに違う概念ですよ。「健康」が錦の御旗にたてられていますが、本当にほしいのは「自主性」(という名の、実は放任)でしょう? それを、「健康」で正当化しようとしているわけです。このロジックには、根本的な問題があります。 つまり、「自主性(この場合は、=放任)」という本来社会的なものが、「健康」という自然的なものにすりかえられて正当化されようとしているのです。 ときどき使われる詭弁の手口です。
 服装は、もちろん身体を適温に保つという機能もあるが、それ以上に社会的・文化的な機能も多くあることを忘れてはいけません。 なにより制服というものは、この、服装の社会的・文化的機能のほうから出てきているものなのです。 成年になるとわかりますが、改まった席では、どんな夏の炎天下でも、服装に放任は許されません。上着にネクタイが暗黙のうちに求められます。「体調」によくない、と思うでしょうか?  ではそもそも、なぜ、堅く糊をつけたカッターシャツの襟ボタンを留め、その上からあんなネクタイとかいう紐で首を縛り付けなければいけないのでしょうか。 窮屈でしかたありません。でも、それが要求されるのが、大人の社会というものなのです。 富山高校が、服装指導を通じてこうしたことを高校生のうちから学ばせようとしているなら、それは大変立派な教育方針で、生徒として誇るべきことではありませんか?

>高校生がなぜ、中学生より校則が厳しいのでしょうか。
>おかしいと思って当然でしょう。

 中学生のほうが高校生より校則が厳しいことを当然視するのも、これまたおかしな感覚ですね。 これでは、たとえば制服のある防衛大に私服の高校から進学した学生は、「なぜ大学のほうが高校より校則が厳しいのか」といって、服装自由化を要求せねばならないことになります。
 中学と高校とはまったく別の目的と伝統を持つ別の学校なのだから、教育方針の違いがあって当然なのです。 君の中学は、義務教育で学区の子供なら誰でも進学する公立中学だったでしょう。しかし、「御三家」のひとつ、名門・富山高校は、誰でも進学できるわけではありません。 将来、県の発展を背負ってたつ人々を育てる学校です。

>”名門・富山高校が校則を変えれば空っぽの学校になる”とおっしゃいますが、
>他県には校則がなくても、いい学校はいっぱいあります。

 「いい学校」というとき、具体的に、どういう学校を念頭においているのでしょうか。 一般論として、校則の厳しい地方の高校のほうが、校則がごみ屑のように捨てられ「自主性」の美名のもとでの放任に流れ、すっかり荒れはててしまった東京都立・大阪府立高校よりずっとまともで健全なのは事実です。 校則や制服がなくなり、生徒の学校への帰属意識が薄らぎ、学校としてのまとまりがなくなり、伝統の「校風」も消えかけて、校歌さえ3年間覚えないまま生徒が卒業して行く学校が、東京都立や大阪府立高校には多くなっていることを、忘れないほしいものです。 それゆえ東京や大阪では、まともな親や子供は、もはや都立・府立高校へは進学し(させ)ません。 私立や、国立附属高校をねらいます。富山県では、やはり、まともな中学生は、富山高校・高岡高校など、県立高校に進学するでしょう? 

>教育関係の方なら、なおさら、生徒の生の意見を大切にと思います。

 私は、学校とは、教師が生徒を訓育する場であり、中・高校において教師と生徒の立場は対等・平等でないと考えています。 「生の意見」によいものがあればもちろん取り入れることもあるでしょうが、そうでないものについては、「生の意見」それを矯め、正しい道が何かを指し示して、「より熟した意見」に伸ばし てやるという実践が、教師の職務であり責任のはずだ、と私は自覚しています。
 服装や髪型の問題に直接関連付けていうならば、高校には高校生にふさわしい髪型があります。 男子であれ女子であれ、長い髪、染髪などは、いくら「生の声」がそれを求めても、生徒の髪型として認められるべきではありません。 髪型、かばん、服装などが「自由」になれば、結局、生徒は大量消費社会の資本主義の餌食になってゆきます(私服になれば、毎日同じ服で学校には行けませんね。かばんも、時々取り替えたくなります)。 大量に消費するため、¥¥が必要となり、今度はアルバイト。高校生は、こんなことではなく、もっと、勉強・精神修養など、やらねばならないことが沢山あるのです。 かばんや服装、髪型などの規制は、生徒を資本主義の大量消費社会に巻き込ませない防波堤としても役立つのです。 こうしたものの自由化にきわめて消極的でなくてはならない理由のひとつは、こうした今日の資本主義経済の社会・経済状況にあります。  この点富山高は、さすが県下一の伝統校として、その健全な規律正しい面をいつまでも堅持しており、大変立派です。短い「制服移行期」は、いうまでもなく、その一つの象徴です。

 最後に一言。「富校の杜」も、ぜひ、富山高の良識ある先生方ともっと協調し、富山高が伝統として育み先輩から受け継がれてきた良い校風を誇りとして正しく評価し、それを日本の教育界全体にアピールできるHPになってください。

16.富校現役生の方から
 久々に制服移行期の話題を見たら、私も15番の方同様、14番の方には、疑問を感じます。
 私は、在校生ですが、はっきり言って、管理人さんのことを、中傷しているだけではないですか。あなたは、推測だけで、このようなことを言われて、どう思いますか。
 確かに、個人の意見は大切だと思いますが、”制服をだらしなく着ている”と想像されては、たまりません。管理人さんは、きちんとしていらっしゃいます。
 それに、校則改正というのも、時代の流れ上、仕方のないことではないでしょうか。
 現に、私は中学で校則の改正に携わりましたが、初めは、先生ともうまくいかなかったのですが、生徒から意見を集めたり、何故、校則が必要なのかと考えたところ、最低のこと以外は改正することができました。 最低のこととは、制服を着るとかですが。
 私も、推測で書いて申し訳ありませんが、14番の方は、おそらくお年を召していらっしゃるのでしょう。 はっきり言って、そういう考えが、社会を大人の世界にしているのでは?と私は思います。 まして、教育関係の方なら、なおさら、生徒の生の意見を大切にしていただきたいと思います。
 ”昔はこうだった”とか”スカート丈が短い”とか、そういう考えはやめて下さい。それでは、守られない校則は、何のためにあるのですか。 破るためにあるのなら、それこそ、意味がないのではないでしょうか。それをわかって入学しているわけですが、はっきり言って、中学では高校の校則までは教えてくれません。
 まして、私の中学は、制服移行期も天候や体調に合わせてでしたし、笠やコートの色も自由でした。 その理由は、制服の移行期と設定されると、年によって暑い年、寒い年があるし、季節の変わり目ぐらい、生徒自身で体調も考えて決めないでこのあと生きていけるのかというものからです。 暑い寒いは人それぞれ感じ方が違うし、そろそろ夏服を着ようと自分で決めることが大切なのではないでしょうか。
 それと、”名門・富山高校が校則を変えれば空っぽの学校になる”とおっしゃいますが、他県には校則がなくても、いい学校はいっぱいあります。いいとは、校風や生徒の質です。
 少しは乱れてしまうかもしれません。でも、中身が、から空っぽとは、”そういうやつしかいない”とあなたが思われる固定観念でしょう。 それほど言うなら、きてみられたらよいのでは。
 生意気に書いて申し訳ありません。でも、高校生がなぜ、中学生より校則が厳しいのでしょうか。 おかしいと思って当然でしょう。私たちの意見を正面から否定するだけでなく、他の一面からも見て、考えていただきたいと思います。

15.富校卒業生の方から
よくページを見ていましたが、しばらく見ていなく今久しぶりに眺めてみると見ごたえがあるのでまだ元気そうですね。

「制服移行期なんて」が熱くなっていたのが印象的でした。 「みんなの声」とは違い、寄せられたご意見に対する横田君の反論や感想を返していないところがいいですね。 言い返したい気持ちは山々でしょうが、14番の方のご意見などは横田君にとっては思う壺なのではないでしょうか。

14番はかなりひどいですからね。途中から内容に飛躍が混じり出し挙句の果てには横田君に対する中傷、暴言に至っていると思います。 もし推測の上での中傷ならば、誰かが言い過ぎだぞと言わねばなるまい。

少年法が〜〜と飛躍するのは単なる勘違いと許すとしても仮にも元生徒会長に向かってあまり校則を守っていないのでしょうね発言などは名誉毀損。 勝手に論理を飛躍させ、中傷めいた発言しかもそれが教育関係者とは情けない。誰もが言い過ぎだと思うでしょう。 お詫びが来るまで14番は見せしめとして世界中に発信し続けましょう。

14.教育関係者の方から
 確かに、気温30度で冬服が健康に良くないのは、君の言うように事実です。 しかし、なぜその、いわば当然というべき主張が先生方に素直に入っていかないか、考えてみたことはありますか? それは、「制服移行期」を長く取ることが、このことひとつにとどまらず、高校全体の規律が次々と好い加減になってゆく導火線となることを、先生方が心配しておられるからです。 このことは、

>「スカートの丈を直してから言いなさい」

という先生の言い分を君が予想していることからすれば、君自身も気づいていることなのでしょうね。

 つまり、君がいくら

>制服のことについては、生徒会に任せてください。

といったって、スカートを勝手に短く切り、ルーズソックスをはき、学ランの襟ホックや第一ボタンをはずしたりと、だらしなく制服を着て平気な生徒を前に、よし、君たちにすべてまかせよう!  なんて、責任感ある教師なら、間違っても言えないのですよ。 そもそも制服は、教師が教育上の配慮で生徒に着用を要求するものであって、

>何よりも問題は校則が生徒にとって天下りになっている

のは、実は問題でもなんでもありません(ついでながら、この「天下り」という語の使い方は、誤っていますね(^。^))。 生徒は、校則を認めて高校に入学した以上、それにあれこれ注文をつける権利は一切ないのです。 この点のけじめが、日本では最近特に好い加減です。

>生徒たちの学校生活の規律は、生徒たち自身の自主的な検討、
>見直し、議論によって作り上げられるのが当然のことだと考えています。
>校則の作製・改訂は生徒たちの当たり前の権利であり、
>生徒自身が責任を負うべきことだと思います

という考えは間違いで、少年法で保護されている未成年の高校生に、本来完全な「責任」「権利」を認めることはできません。 もし、

>人間に高校生も中学生もない。みんな同じ人間なのに「高校生」という
>一つの固定観念にとらわれた物事の考え方は非常に愚かであろう。

というなら、同時に、少年法廃止も要求しなければ筋がとおりません。一方で自分は、少年法によって護られていたい!  しかし、規則はいやだ! これは、だだっこのわがままでしかありません。

 加えて君は、

>筆者はもっともな理由によって退学でも勧告されない限り、
>暑ければ夏服を、寒ければ冬服を着ていきますが、

と自慢しているくらいだから、学ランをきちんと襟までとめて着るなんてとんでもない、あまり校則を守っていないのでしょうね。 これでは、君がいくら「自主性」とか叫んでも、それは、自分たちがすき放題やりたいだけなのだろう、生徒自身に責任を負う能力なんてない、としか思われず、残念ながら、信頼されない、ということです。

>生徒会と職員との大抗争の末に生徒会が強くなった学校は
>伝統校を中心に数多くあります

という君、こうした学校が今どうなっているか知っていますか?  「大抗争の末」制服が廃止されれば、一歩校門を出たら大学生か高校生かかわからない。もちろん、誰も校章なんてつけていません。 それを良いことに、生徒としての責任を忘れ、部活の後、未成年であるのに盛り場の飲み屋に繰り出す。 生活はめちゃめちゃで、予備校に行ってやる受験勉強だけが滅法強い。 偏差値は高いからそれなりに頭のいい中学生が入ってきて、それなりに頭のいい生徒が行く大学に出て行くが、肝心の高校の中身は空っぽ、まるで通り抜けのパイプです。 君は、名門・富山高校を、こんな、中が空っぽのむなしい場所にしてしまいたいのですか?

 もちろん、先生方にも、問題はあります。たとえば、

>先生!あなたはなぜ半袖なの!? 生徒は身体に無理して冬服着用。
>先生方はそんな生徒を尻目に涼しい顔して薄着。半袖着てた先生も。

というのが本当ならば、それはたしかにおかしいですね。 最近の高校教師にも、確かに好い加減で無責任なのがいます(本当は、こうした「教師」こそ、服装指導などうざったいので、「制服自由化」したがっている)。 君たちは、暑い日にもきちんと冬服を着用した上で、先生に、「スーツにネクタイというきちんとした身なりで教壇に立つ」ことを要求する権利はあるでしょう。 しかし、先生がルーズだから、君たちもルーズで良いはずだ、という逆の理屈は、残念ながら成り立ちません。 列に割り込む人がいるから、自分も割り込んで良い、という理屈が成り立たないのと似ています。 生徒からの自由への要求には、生徒としての責任ある行動が伴うことを、認識せねばだめです。 そして、先生よりきちんとし、責任ある行動をとってこそ、先生にモラルの上で優位に立ち、説得力を持って要求できるのです。

 ともあれ、

>でも自分は富山高校の制服って何となく好きでした。どことも似ていない
>あのデザインに、逆に富山高校の誇りみたいなものを感じていたんですけどね。

という、他校の方のたいへん立派な意見もよくかみしめてください。 そして、君ももっと、自らの学ぶ、県下随一の伝統校・富山高校への誇りを、制服やそれについている校章に感ずる努力をしてほしいと念願します。 こうして心頭滅却すれば、冬服を5月や10月に着た暑さも、少しは涼しく感じられるようになるかもしれません。

13.富校卒業生の方から
 最初にこのコーナーのタイトルを見たとき、正直言って、何じゃこりゃ、と思いました。 私達が現役の頃は、そんなものはなかったから。(男女とも。)106回生の妹が現役だった頃でも、なかったようです。

というわけで、「富高生の暑い夏」は、現在よりずっと長かったのですよ。移行期があるだけ、マシというものです。 (最初に作った人、えらいっ!)

昔は、他校生のベスト姿を横目で眺めてうらやみつつ、衣替えの日を待ち、ただちに略服へと華麗なる(?)変身をする。 そんな人が結構いました。あの合い服はダサいと言って、いやがっていた人たちです。(私は結構気に入ってたのですが・・・。
 当時の他校の制服はそんなにお洒落じゃなくて、うちよりずっとダサいのが多かった。
 「制服がかわいいから」富高に来た、という友達もいたんですよ。)

今ではあの合い服は長袖になっちゃったようですが、当時は7分袖でした。あれで、密かに「ハイカラ」だったのですって。 (その7分袖が嫌いだ、と言う人もまた、多かった。)106回の頃は、衣替え即、略服、というのは禁止されていたようです。 (その分、女子だけは他校と同じように衣替えをした、と聞いてますが。)

夏が過ぎて再び衣替えをした後は、暑さに耐えかねて、冬服の下にタンクトップ、というすごい服装をして来るのがいました。 (私は違ったけど。) 10月下旬になっても、ときどき暑くなる日がありますが、そんなときは、下に何を着ていても(着ていなくても)分からない、うちの冬服はいいなあ、と思っていました。 (106回生の秋は、どのような感じだったのか、記憶にございません。)

ところで、合い服の生地が略服より薄い、と書いていた人がいましたが、一概にそうとは言えません。 今でも多分そうだと思うのですが、合い服はどこの店でも同じような生地でできたものが売られています。 しかし、略服はそうじゃなかったのです、どういうわけか。 よくよく見比べると、合い服と同じような生地でできたものと、それより厚い生地でできたものがありました。 (某販売店で買った人だけは、その厚地の服でした。)きっと、あのメールを書いた人は、その厚地の服だったんでしょう。

以上、制服について、取り留めもなく書きました。

12.教育関係者の方から
 私の勤務した学校でもうるさく言う学校もあったし、今の学校は「ほとんど自由」という学校だし、いろいろとその学校の特色によって違うようですね。 公立と私立の違いもあるでしょうし、ランクの差などもあるようです。 私個人としては、制服移行期以前に「制服は必要か?」という考えがあるので、「制服移行期」ということをあまり問題に思っていません。これも、もしかしたら富山と 神奈川の地域性などがあるかもしれません。
 こんな簡単な回答しかできませんが、お許しください。

11.富校現役生の方から
 一富校現役生として一言物申させていただきます。ほとんど言いたい事はみなさんと同じですが、ちょっと気になった事。
 真冬と30度も気温差があるのに同じ服で過ごせとはどういうことなのか。まったく季節感の無い学校であります。
 先生!あなたはなぜ半袖なの!? 生徒は身体に無理して冬服着用。先生方はそんな生徒を尻目に涼しい顔して薄着。半袖着てた先生も。
 暑くて授業にも集中力が欠ける。「暑い折ですが、だらけない。」そんなこと言われても説得力無い。この苦しみわかるまい。
 何言ってもダメなんですかねー。実に不衛生である!! 見た目にも暑苦しい!!

10.教育関係者の方から
 私が以前東京に出てきて驚いたことの一つに、田舎では考えられないような人々の多様さがあります。 たとえば、山手線車内を真冬なのにパンツいっちょうのおっちゃんが闊歩していたり、下着姿の女性がフラフラしていたり・・・。 塾・予備校というやくざな商売をしている現場でも、真冬に常にランニングシャツ一枚でやってくる生徒もいました。 また、講師室ではガンガン冷房を強くしたがる講師もいて私は閉口しています。とにかく、暑さ、寒さの感じ方でも、人それぞれ。

 ということで、「制服移行期」いわゆる衣替えは、生徒たちひとりひとりの自立的判断に委ねられるべきことだと思います。 一年中夏服でいいんだという生徒だっていてちっともおかしくないですから。

 で、そういう規則は校則として定められているはずですが、何よりも問題は校則が生徒にとって天下りになっていることだと思います。 生徒たちの学校生活の規律は、生徒たち自身の自主的な検討、見直し、議論によって作り上げられるのが当然のことだと考えています。 校則の作製・改訂は生徒たちの当たり前の権利であり、生徒自身が責任を負うべきことだと思います。

 教育の場でそういう当たり前のことすらできなければ、教育課程審議会が強調している 「子どもたちの個性を生かし」とか「自ら学び自ら考える教育」とか「問題解決などの能力の育成」とか、すべて空語になってしまうのではないでしょうか? それでは、どんずまりの議会政治や官僚的答弁と同じ穴のムジナ。

 ところで、私自身は高校生のころ制服廃止を主張していましたが、廃止できても制服を着用するつもりでした。 金がないし、めんどくさかったからです。 仮に制服廃止が生徒の多数意思となっても、少数派の制服着用の意思は尊重されるべきものだと考えています。
 多様な意見を闘わせ、議論し、制服をどうするかなど自分たちが帰属する生活空間のルールを定め、いったん定めた規則への問題提起をし、改めていく・・・ そういう民主的なスタイル、広い意味での政治が教育の場でこそ切磋琢磨されていくべきだと思います。
 というわけで、生徒たち自身が制服移行期問題、さらに制服そのものも含めて校則を決定する権利をもち、自己規律の責任を担うのがしごく当然のことだという意見です。

9.四日市南高校現役生の方から
高校生らしさという風にひとまとめにするのではなく、自分らしさを出していくことが大事なのではないか。 人間に高校生も中学生もない。みんな同じ人間なのに「高校生」という一つの固定観念にとらわれた物事の考え方は非常に愚かであろう。

話、代わってマフラーのみの着用がだめだというのは、馬鹿げているとしか言いようがないだろう。 しかもその理由が「高校生らしくない」というのがあほくさい。 いったい何を基準に高校生らしくないのか説明してもらわねば富高のみなさんも納得いかんのではないか? 熟考の後の回答なんて偽善の固まりだから何の意味もない、唐突な回答が一番良い。 あわてふためいていればなおさら良い。そこでつっこめる人がいればもっとよいですな。

男女で校則がちがうっつーのも気になる。みんなで文句を言ってやりましょう!

ウチの学校の行事で生徒大会というのがあります。 校則などについて、生徒が全校集会をして言いたいことを言い放題!教師は見ているだけでいっさいの口出しはできませんから何でもありなわけです。 事実今年から先生はたばこを廊下で吸ってはナランという当たり前の決まりができ、娯楽室なるへやができました。 こういうことをやってみてはいかがですか?
「高校生らしさとは?」へのご投稿でしたが、主旨が同じであること、最近の更新頻度などから勝手ながら「制服移行期なんて」に掲載させていただきました。

8.富校卒業生の方から
さて制服の件がだいぶ盛り上がっているようなので、僕も思うところがありました。 特に、制服なんだから各自好き勝手に着て来たんじゃ収拾がつかないというご意見や、制服に限らず校則の存在がもたらす益について考えてみようというご意見。

前者で収拾がつかないというのが見映えのことを言っているのであれば生徒の制服はまるで高級マンションの洗濯物みたいですねぇ(笑) 見映えが悪いのでやめてくれという意味。そんなことで高校の価値がマンションのように下がるでしょうか。 マンションでも下がらない(笑)みんなで足並みを揃える訓練ならば、それは入学してすぐにやった体育の集団行動でたくさん(笑) 憶えていますか、「まわれ〜右〜!」「3の番号〜!」って言って三列縦隊になるやつ。

後者では世の中理屈ではなく守らなければならないルールってもんがあって校則とは後々そういうことを守っていく訓練であると僕なりには考えましたがどうでしょう。 ですが、あなた方はルールを守れない人たちではないですよね。 校則の存在やもたらす利益を否定しているのではなく、現実に沿った校則に変えたいだけなんですもんね。 それなら後者は結構深いご意見ですが、まぁ気にしなくても。 もし、もたらす利益が失われてしまったならその時、後輩にその失敗を語り伝えればいいでしょう。

確かに大学に来たら生活はすべて好き勝手です(笑)高校で規則を自由に更えられたら、大学の自由さに感動はしないかも。 先生方も校則を更えることぐらいはなんとも思っておられないかもしれなくて、大学へ行ってから存分に開放感を味わってほしいだけなのかもっていう見方をしてみると先生方にも親近感が湧いてきますね。 それだとあなたのやる気が減退しちゃうかな(笑)

7.富校の杜管理人から
 他の特集にくらべてかなり多くのご意見をいただきとてもうれしく思います。 富校の杜には数多くの読者先生がいらっしゃいますから、どんな表情でごらんになっているかはわかりませんけれど、このページも多くの先生方の目に触れていることと思います。
 さて、制服移行期間の延長や合い服を5月からにするといった穏やかなものから、ベスト導入や制服撤廃にいたる大胆なものまで、これまでだけでもいろいろなご意見が寄せられました。 わたしは一度、とある先生と富校の杜についてなど私的なお話をする機会があって、そのときはこの問題についても触れました。 しかし先生は「こういうことよりもっとほかのことに情熱を注いでは」というようなことをおっしゃるだけで、是非の明言はなさりませんでした。 先生のおっしゃることも実にごもっともなのですが、それはさておき。(^^;
 3.のご意見のおかげで制服移行期の意義がわかってとても参考になりました。 (職員室ってのはこういうことを一つも教えてくれないんだから困ったものです) しかし、はたしてよい決断だったのでしょうか。いや、もちろんよい決断「だった」のです。 制度を変えるわけですから、当時の職員会議はもちろん、むつみ会や生徒会にも諮ったうえでの最善の決定だったに違いありません。 (ちょっと皮肉も込めたつもり。生徒会が両手をあげて賛成したとはどうしても思えません。 でも、女子としても周りに合わせるのがつらかったのかなぁと考えるとまんざらでもないのかも。) しかし時代は変わるもの。士農工商の身分制度も、「当時にとっては」最善策。 制服移行期だって、いまの時代に合っているかといえば、どう思われますか。 「生徒のために」という大義のもとに、「生徒の自主性」というものをないがしろにしてしまうのは、やはり考えものではないでしょうか。 「生徒の自主性」といえば、いまや文部省までが最も力を入れて大切にしようとしているものではありませんか。 最近は尊重しすぎて不登校が増えた、とまで言われるくらいですが。(^^;
 「富校のおもいで」に寄せられた「昭和44年当時の富山高校」によれば、富校は県下でいち早く男子の長髪を認めたといいます。 そんな、時代を見据えられる眼差しはいまの富校職員室には消えてしまったのでしょうか。 ここ、とっても大切です。周りがどこも丸坊主の中での決断ですよ。大変な勇気のいったことだと思います。 そんな勇気ないわい、とひらき直らないでください。
 あともう一つ。6.の中に「自分たち女子は暑苦しくても冬服で耐えてるところへ、先生方は半袖なんかで涼しさを満喫?してる」 とありますが、「生徒が冬服なのに自分たちだけが半袖なのはおかしい」と、冬服期間は長袖ネクタイを通す先生もいらっしゃいます。 ご立派な心がけですが、これぞ本末転倒、という気もしますね。なんか間違ってる世の中です。 ここでその先生の名前を挙げて誉めたたえるのもいいのですが、そうすると返ってその先生が職員室で気まずい思いをなさるのですから、職員室の雰囲気には救い難いものがあります。
 ところで以前、「『男子だけ学ランを脱げるのは、女子がかわいそうだろ』という教師の言葉は本末転倒」と書きましたが、そもそも事の始まりは女子生徒だったんですね。 大変数多くの矛盾をはらんだ一言だなぁと、あらためて思います。

6.富山中部高校卒業生の方から
 個人的には、制服については実際に着用している生徒の意見を無視してはいけないような気がします。 確かにあの冬服はすぐに富山高校とわかるものですが、そんなにまでして守り続けなければいけないものとも思えません。 (まあ、実は密かに有名デザイナーの手による作品なのだとかいう理由でもあるのであればともかく・・・) 自分としては、制服のモデルチェンジができないのであればせめて移行期間の延長を生徒が要求してもいいのではないかと思います。 それから、現役の富山高校の生徒さんが書かれたように、合い服をベストのようなもう少し機能性を持たせたものにするとか。 マイナーチェンジとして、合い服や夏服の生地を変えるとか・・・。制服自体を変えるのがいやなら、それくらいのことはしてほしいもの。
 自分も高校生の頃、やたら陽気が強くて暑いくらいの日に、自分たち女子は暑苦しくても冬服で耐えてるところへ、先生方は半袖なんかで涼しさを満喫?してるのを見るとひそかに「こんちくしょー」とか思ったもんです。 結局、自分たちがあの制服を着ることがないから、生徒の苦労はわからないのでしょう。特に男性の先生には。 女性の先生の中に、富山高校のOGはいないのですか?女子の苦労がわかる人は・・・。
 でも自分は富山高校の制服って何となく好きでした。どことも似ていないあのデザインに、逆に富山高校の誇りみたいなものを感じていたんですけどね。 ちなみに自分が実際に着たのは、どんな子でも似合う・似合わないを考えなくてもいいかわりに事務員みたいに見える、富山中部の制服でした。
 自分は富山中部高校の出身です。現在は教員をやっています。勤務先の養護学校で、最近、高等部の制服を変更したんです。 それですったもんだあったので、制服変更がどんなに手間のかかることかは知っています。 でも、それでも、実際に着用している生徒さんが、黙ってばかりいなくてもいいと思います。 現役の富山高校生の皆さん、がんばって下さい。

5.富校卒業生の方から
君は校則がすごく嫌いなようですが、ぼく自身も去年までは富高生だったわけで、君の言いたいことは良く分かるんだけど校則の意義というものを考えたことはありますか? いや、よく言われるものではなくて自分にとって、校則があることはどんな益があるのかということをプラスで考えたことはありますか? とっても気付きにくいことだと思うけど少し考えてみて下さい。

4.教育関係団体の方から
これは生徒の立場では割に感じる問題かもしません。 しかし、仮にも「制服着用」となっている以上、全員が勝手に着用していては収拾がつかないのではないでしょうか? たとえば、「切り替え月間」という感じで、幅を持たせるのも一手かもしれません。 もし「筆者」のように「制服の移行期はいずれ撤廃されるべき」と考えるのでしたら、むしろ「制服の撤廃」を考えるべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

3.富校現役生の方から
確かに、5月も終わり頃になると辛いです。 しかも、数年前の女生徒は、「ダサイ」とのことで、合い服を着なかったそうで...。 だからそれまでは、今以上に辛かったはず。6月になっても、冬服だったんでしょう。

それに見かねた先生達が、「合い服強制」にしたそうです。でも、確かに合い服はいやです。スモックみたい。 それに、略服よりも生地が薄いんです。なぜ? ってかんじです。

多分、先生達は富校の冬服が好きなんでしょうね。正確に言うと、略服が嫌い。 あのリボンが好きなんでしょう。どこの学校か分かりますしね。 だから、他の学校に比べて移行期間が遅いんでしょう。

2.富校現役生の方から
僕も制服移行期間の撤廃には基本的に賛成です。 大体の理由は既に富校の杜の作者が述べたことに準ずるのですが、それについて一言。 生徒側の立場からすれば異常な夏日に冬の濃色の制服を着なければならないのは非常に理解しがたいことでありますが、 学校側の立場からすれば、定められた規則を遵守させるのが教師の務めであるため、 たとえどんなに暑かろうが、またどんなに寒かろうが決められたルールを守るのは当然である、といった正当な理由が成り立つのであります。

しかし、生徒が暑い思いをしているときに教師に涼しげな顔でそれも涼しげな服を着て教壇に立たれるのは、さすがにこちらも納得は行きません。 「自由化」とまではいかなくても、せめてその年ごとの暑さによって期間を早める、(遅らす)などの柔軟な対応は必要だと思います。

このような現象はここ数年特に強く感じられるようになってきたのですが、この問題は富山高校だけが抱える物ではありません。 この問題に対しては、他同じ様な思いを抱いているだろうもっとたくさんの人の意見を聞いた上で、「学校」というところのあり方として論議しあえばいいと思います。

1.富校現役生の方から
私も前々から、富高の制服移行期についてはかなり不愉快に思っていたので、ここを読んで、とても共感できるところがありました。 だいたい、富高は、他の学校から比べても、移行期間が遅すぎます。 私の友達も、「遅い」ことについて不満を抱いている人はたくさんいます。 それに、男子は学ランのしたにカッターシャツ着られるけど、女子の場合は、そういうわけにも行かない。 体育の後は、暑くて死にそう。最悪です。 冬服の次に、すぐにああいった薄い合い服にするから、移行期間が遅くなるのじゃないか、とも思います。

個人的には、女子にベストを作って欲しいです。 そうすれば、移行期間をなくすとまでもいかなくても、移行の時期を早めに始めることも可能かな、と思います。 暑いときはベストを脱いでいればいいし(脱いだらロッカーに入れる)、寒いときには着ればよい。 少なくとも今よりは寒さとかの調節ができていいと思います。 ただ、ダサいのを作ると、誰も着ないだろうなぁ・・・。 でも現実には、絶対ぜっっっったい無理ですね。すいません。

富高のことだから、制服移行期はなくならないかもしれないけど、せめて移行期間を長めにとって欲しいです。 2週間、いえ、思い切って5月いっぱい移行期間にしてしまえばいいなぁ・・・ でも女子の中では、冬服が一番人気が高いらしい。(笑)私はよく分からないのですが。

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